なんとなく愚痴2 [回顧録]
その前にお店でなんとなく読んだ週刊誌にもこの手のトラブルが急増していることが書かれていた。
結婚していることを言えなかった、とかその気がないのにはっきりと断れず、当日になってトンズラ‥
もしくは相手を一度も連れてこないで準備を着々と進め、実は本人の妄想で相手がいなかった‥
結婚式場のスタッフの愚痴や現状とともにこんな感じのことが書いてあった。
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これで思い出した昔のこと。
私たちが挙式をしたのは籍を入れた半年後だった。
ところがダンナの仕事の都合から、二人で一緒に式場で打ち合わせをしたのは最初の一度のみ。
あとはすべて私が一人でやっていた。
「あの‥ 新郎様は?」
「仕事です」←籍は入っているから一緒に生活している
スタッフも一瞬「え?」という何とも言えない表情になるが向こうもプロ、すぐに仕事モードの顔つきに変わる。
毎回そんな状態だった。
なので担当者の顔を見るたびに
「(このカップル大丈夫なのかしら?
途中でキャンセルされるんじゃないか?)」
そう思われているんだろうな‥
そんなことをぼんやりと感じながら打ち合わせを済ませた。
やっと挙式も終わり、似たような時期に結婚した友人に愚痴交じりに経過を話したところ友人は
「職場結婚で仕事のことを理解しているから一人でも準備して挙式まで出来たんだよね。
これが一般人の奥さんだったら結婚前に破談してるよ。
打ち合わせに一度しか顔を出さないなんて普通はあり得ないもの」
それを聞いて真っ先に思ったことは「やっぱりね」だった。
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そしてつい最近読んだ週刊誌とこの事件。
‥‥‥‥。
ひょっとしたらキャンセルの心配ではなくこの挙式自体が私の妄想。
脳内結婚だと思われていたのではないかと思い至った。
もし本当にそうだったらちょっとへこむな。orz
通院拒否8 [回顧録]
ちなみにこれ、官舎妻になったばかりの頃の話だったりします。
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仕事を辞めてから体を動かさなくなった。
そして現職中、ちょっとやんちゃをしてぎっくり腰もちになってしまった。
今でも季節の変わり目になるとヤバそうな腰痛が出てくる。
そして体をかばっているうちに姿勢が悪くなってしまったんだろう。
腰痛だけではなく手足のしびれまで出てきてしまった。
「(一度きちんとレントゲンを撮ってもらった方がいいかな)」
近くの総合病院にかかった。
問診を書き、レントゲンを撮ってもらう。
しばらく経った頃にようやく名前を呼ばれ診察室に入った。
まだ若い医師、厳しい表情でレントゲン写真を食い入るようににらみつけている。
そのただならぬ雰囲気に
「(ちょっと待てや。
何かやばいものでも写っていたのかよ)」
何とも言えない不安に駆られてしまう。
「お願いします」
そう言って椅子に座ったところ、私に視線を移した医師はほぉっ、とため息をつきうっとりした表情と声で
「立派な骨ですね~」
‥‥‥‥‥。
先生、骨フェチですか?
喉まで出かかったけれど結局聞けずじまいだった。
結論から言うと異常はなし。
「しっかり体を動かして血行を良くすればしびれは消えるはずです」
腰痛体操のプリントをもらい病院を後にした。
とりあえず2度前の勤務地での話なので、その病院に行くことは転勤しない限りない。
が、再びこの地に転勤になった時、再びこの医師にかかることになったら‥
素直に通院する気になれるだろうか。
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関係ないけど、この記事を書いて保存したところこの記事自体が飛んでしまった。
なぜだろう?(--;
やっぱり好きになれなかった [回顧録]
私が嫌いなものをカウントする時真っ先に上がるもの。
・トマト(生のみ、火を通したものは好き)
・虫
・英語
特に英語は受験時代に散々泣かされたこともあり、嫌いを通り越して恨みに近いものがある。
当時はサテラインがやっと大手予備校に導入された頃。
実家は田舎のほうなので塾や家庭教師などの学習環境がそれほど充実していたわけではない。
頼りが学校の授業のみ、変な教諭に当たったらその場でアウトというかなりデンジャラスかつロシアンルーレット的な環境だったといえる。
そして中2の2学期から受け持たれた英語の臨時教諭が最悪の部類で、この時から定期考査が10点ずつ下がっていった。 ←当たり教諭が入院した
全てを学校のせいにするわけではないけど、多少の責任はあると思う。
この状態で高校に進学したものだから
・国語→中の上から上の下
・選択科目(日本史)→ぶっちぎり
・英語→壊滅的
という非常にアンバランスな偏差値を3年間維持した状態で受験をすることになった。
とにかくすべての問題が英語、浪人したのも今の大学に落ち着いたのもすべて英語のせいといっても過言ではないのだ。←ただし後悔してはいない。
幸い予備校の授業は面白かったので、なんとか本命を合格するくらいまで成績を上げることはできたが、大学の英語の授業は面白くなかったのでやはり好きになることはできなかった。
事情を知る友人や身内からの
「恨みしかないのはわからないでもないけど、今なら楽しく学べるんじゃない?」
と言う勧めに英語のCDを何度か聴いてみたが、拒否反応は出ないまでも好んで聴こうという気にはなれないまま現在に至る。
前置きが長くなったが今日、官舎でまったりしていたら電話が鳴った。
「はい、もしもし?」
力いっぱい営業用トークのご婦人が
「こちら××(子供向け英語教材の企業)ですが、そちらに0歳から5歳くらいのお子様はいらっしゃいますかぁ?」
学○や中○出版あたりなら
「まだ、子供はいないんです、お疲れ様です~♪」
普通にそう答える、というか実際にそう言っている。
しかし相手は英語だ。
いつものように答えようとしたとき、英語に泣かされた恨みが腹の底から沸々と沸き上がってきた。
「あぁ、子供はまだいないんですよ~←とても穏やかな口調
それに私自身←この辺から声にドスが利いてくる
英語は大っっっ嫌いなもので」←非常に忌々しい口調
ガッシャン!!←受話器を乱暴に叩きつけてはい終了。
きっと電話をかけたご婦人、急に口調が変わったことといきなり電話を切られたことに受話器を持ったまま唖然としていたに違いない。
やっぱり英語を好きになることはできなかったようだ。
今回電話をかけてきたのは子供向けの英会話企業のようだし、今後の英語の付き合い方はとりあえず子供ができてから考えることにしよう。
男と女 [回顧録]
TVドラマを見たことも、原作を読んだこともないので具体的な登場人物やストーリーの話となると話にはついていけないが、『花ざかりの君たちへ』と言う作品がある。
内容は好きな男の子と一緒にいたい! と言う執念から男装して男子校に潜り込む帰国子女の話。
友人とこのネタから「男装して潜り込むって現実に可能だろうか」と言う話になった。
「意外といけるかもよ」
現職の頃を思い出しながらそう答えたのは私。
ところで自衛官の教育隊はショートカットが原則である。
しかし綺麗なショートカットを維持するとなると月1ペースで美容院に行かなければならない。
それが面倒だったのか、自棄になったのか角刈りにしてしまった人が何人かいた。
そう、Tシャツから透ける下着の線と身体のラインから女性だと言うことは分かるが、顔を見た限りでは男性にしか見えないと言う人が実際にいたのである。
「そう言う人なら可能かもよ?
女子営内(女性自衛官の居住の場、原則的に男子禁制)に居ることと体の線から女性だと言うことは分かるけど、顔を見ている限りは男性にしか見えない人も居たもの。
胸にサラシでも巻いて、男物の服を着たら立派に男性に見えるんじゃないかしら。
そう言えば私も現職時代ベリーショートの時、男の子と間違われたことがあるわよ?」
つきあいの長い友人は絶句していた。
そこまで話したとき、唐突に昔のことを思い出した。
私の通った大学は当時、男子寮しかなかった。
男子は寮を希望できるけれど、女子は不動産のサポートをするからその後は自分で何とかしてくれと言う感じだったのである。
「仕方ないわね。
髪をばっさり切って胸にサラシ巻いて潜り込むか。
肩まわりは相当がっちりしてるから、小柄な男と言っても通じるでしょ」
入学案内片手にそう言ったことがあった。←もちろん実行はしていない
目的は明らかに違うが、そう言う考えをする人間は実際にいると言うことである。
入学以来のつき合いである友人は再び絶句。
ちなみに私の発言を聞いた母は一言。
「バレたら厄介だから辞めなさい(^^)」
‥‥‥‥。
オカーサン、突っ込みどころが違うと思うのですが。(--;
人生谷あり穴あり2 [回顧録]
前回の記事が意外と好評だったのでもういっちょ。
ちなみにこれ、ある雑誌に投稿してみようかと思ったネタだったりもします。
大学2回生の夏、二輪免許を取った。
付け加えるなら普通免と一緒に二輪も、と言う感じである。
卒業証書(だったっけ?)を持って、新潟の免許センターに行き申請をする。
‥が、書類を突っ返される。
話を聞くと新潟県では普通免許と二輪免許の同時申請が出来ないとのこと。(他の都道府県はどうだか知らない)
「今日は普通免許だけ申請して100問題を受けてくれるかな?
明日もう一度来て、二輪の申請をしたら今度は講習会の後免許が交付されるから」
と言う職員さんの言葉に従い、その日は普通免許だけを貰って帰った。
翌日、再び免許センターに出向き二輪の申請をする。
講習会も終わり、あとは写真撮影をするだけ、と言うときに突如人の流れが止まる。
慌てふためいて部屋に駆け込んでくる職員達。
話を聞くとホストコンピューターとの通信回路が故障したため、データのやり取りが出来ないとのこと。
「通信回路が復旧するまでしばらくの間、部屋でお待ち下さい」
の言葉に従い、部屋で待たされること2時間。
やっと職員が部屋に来たと思ったら
「申し訳ありませんが、復旧のめどが立たないので今日の午後に来ていただくか、日を改めていただくか‥」
「いつまでかかるか分からないのをいつまでも待ってられるか」
と実家に電話をかけて迎えを頼み、実家から車で40分はかかるであろう免許センターからとっとと引き上げた。
更に翌日、再び免許センターに出向いて二輪の申請をする。
幸い、職員の一人が私の顔を覚えていたらしく
「君は確か昨日、講習会を受けていたね。
だったらこっちへ、あとは写真だけだから」
なかなか話好きな職員さんらしく先日のトラブルについても色々と教えてくれる。
「いやぁ、あれだけ騒いだわりには意外と早く回線が復旧してね」
話を聞いたら私が免許センターを出た10分後だったそうだ。
私の顔が引きつったのだろう。
「いや、でも君は講習会も受けているし、あとは写真を撮るだけ。
写真を撮ったら免許なんて5分で出来るし(^-^;)」
‥‥‥‥。
カメラが故障していやがった!!!
修理に待たされること40分。
どうやらその間に私の表情はすごいことになっていたらしい。
椅子に座る私とカメラをいじる職員さん。
「そんな怒った顔をしないで笑って。笑って。(^^;)
もっとスマイル、シャッター切るよ~
はい、チーズ」
たぶん、免許センターの職員にここまで言わせたのは私くらいのものだろう。
こうして手に入れた普通免許&二輪免許、口元はかろうじて笑っているけれど目は決して笑っていなかった‥
大学の仲間たち曰く。
「これって二輪に乗るなって言う神様のお告げとちがう?」
‥‥‥‥。
真相は神のみぞ知る。
ウグイスと失言 [回顧録]
朝のニュースで『ウグイスの鳴き声観測、今までで一番早い』と言った内容を耳にした。
確かに2月でウグイスは早いだろう。
ところでウグイスで忘れようがないネタを一つ。
教育実習に行ったときのこと。
教育実習では連日指導要綱やレジュメ作成に追われ、この頃は慢性的な寝不足に。
当然一分一秒でも長く寝ていたいのに、窓の近くの木に留まっているウグイスが起こしに来てくれるのだ。
それも「ホ~、ホケキョ」と言ったものならまだ良いが、
「ホーッ、ホケキョッ!!
ホケキョケキョケキョ
ホケキョーッ!!!」
と至近距離の大音量で鳴かれた日には風情も何もあったものではない。
ウグイスに殺意を抱いたのは後にも先にもこの時だけだ。
そして実習を終えて大学に戻り、クラブの部室で後輩達と教育実習のことを話しているときに、話の流れからこの時のウグイスの話になった。
「ところでさぁ、ああいう風に鳴くウグイスは雄だけって知ってる?
美声で雌を呼ぶのよね。
つまりいつまでも鳴き続けるウグイスは「モテないヤツ認定」ってわけ。
それでもめげずに実家の庭で鳴き続けていたわ。
‥ったく、元々モテないヤツが何かしたところで結局モテないままなんだから 下手な悪あがきをするんじゃないっての!」
と睡眠を邪魔された恨みも含めて吐き出したところ、黙って話を聞いていた後輩が申し訳なさそうに
「あの‥‥ qin先輩、ウグイスの話と言うことは分かっています。
分かっているんですが‥‥
もうその辺で辞めてもらえませんか?
そのウグイスの気持ちが分かりすぎて‥
オレ、とっても辛いんです!!」
「‥‥え?(?_?)」
と周囲を見渡したらその場にいた男どもの大半が轟沈していた。
どうやら思い当たる節があったらしい。
後輩達、ごめん。
ところで買い物に出かけようと車に乗り込んだらミツバチが1匹飛んできて、フロントガラスについている花粉を体にすりすりし始めた。
内側からの撮影なのであまり綺麗に見えないかも知れないけれど、ちょっと珍しい光景を見たのでUPしておこう。
神様にお願い!2 [回顧録]
センター試験の時期になった。
尤も私立文系クラスにいたので、センター試験は現役の時一度受けたきりである。
なので特に思いいれもないけれど、店頭に並ぶ数々の縁起物グッズを見るとやっぱり当時のことを思い出す。
そして本人よりも周囲の方が気を遣うらしく、当時手にした縁起物は自分で買った物ではなく人から貰ったもの。
私自身がやったこととなると「神頼み」。
これくらいしかなかったような気がする。
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唐突ですが受験生時代、私達がお参りに行っていた文殊様は少なくとも3回以上お参りしないと合格させてもらえないと言われていた。
友人曰く。
「三顧の礼か。随分しっかりした文殊様やな(^-^;」
三顧の礼かどうかはともかくとしても、実際境内だったかパンフレットだったかに
「三度以上お参りすると御利益があります」
と書いてあったのだから、三回は行かないと御利益がないのだろう。
「確かに大学の合格通知を手にするのに、私も姉さんも少なくとも3回はお参りしているわね」
そんな話を友人としていた。
ところで私は端から見ると結構遊んだ浪人生に見えたらしく、高校の同級生に
「予備校生活を一番エンジョイしていたのは誰だと思う?」
と質問すると十中八九私の名前が挙がると言われていた。
まぁ、それは否定しない。
予備校生の時に知り合った人と今でも良い友人付き合いが続いている事を思えば、それなりに幸せな予備校ライフだったのだろう。
夏休みにオペを伴う入院をして、
7月→異変に気付き通院、そのまま精密検査
8月→入院、オペ
9月→通院、検査、リハビリ
で3ヶ月返上して本命の合格通知を手に出来たのだから確かに運は良かったのかも知れない。
しかし、本命しか合格しなかったため出身高校では
『運だけで受かった女』
と言う余り嬉しくない称号をつけられていた。
「でも本命を決めたんやから御利益はあったわけやな。(^^;)
きちんと報告は行ったんか?」
「うんっ、ちゃーんと行ってきたよ
よくも一校しか合格させなかったな!
って(^0^)」
「‥‥‥‥。
お前、それ‥ 何かが違う
つーか、それは報告やなくてお礼参りや!!!」
‥‥‥‥。
やっぱり神様って大変だ。
思い出は美しいままで‥ [回顧録]
今年の年末年始はダンナ実家で過ごした。
ちなみに私の実家は日本海側、ダンナの実家は太平洋側である。
いつもは移動に高速バスを使っていたけれど、予約状況を見たら満席だったので一度全部列車で移動してみようか、と言う話になった。
学生の頃は京都~新潟間を列車で移動していたのだ。
数時間乗ることはそんなに苦痛ではない。
新潟の実家から一日かけてローカル線を乗り継ぎ、ダンナ実家への旅に出ることとなった。
そんなところから話は始まる。
ところで現在の生活の場は首都圏、列車も当然ロングシートである。
なのでローカル線の4人がけボックスシートはなんだかとっても懐かしい感じを受ける。
ダンナとボックスシートに向かい合って座り、外の景色を見ながら他愛のない話で盛り上がっていたとき、視線に飛び込んできた地名を見て唐突に昔の記憶が蘇った。
それで表情が変わったのだろう。
「どうかしたの?」
「ううん、唐突に昔のことを思い出しただけ‥‥」
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時期はしばらく遡るけれど学生の頃、予備校時代の友人数名と新潟祭りを見に行ったことがあった。
民謡流しや花火なども上がり、規模としては割と大きい方だと思う。
友人達と祭りの雰囲気を楽しみ、新潟駅で別れてそれぞれ家路についた。
一人で在来線に乗り込んだ私、周囲は浴衣姿の女性が多くかなり華やいでいる。
最終に近い便、乗客の殆どは仕事帰りのビジネスマンか、祭りの見物客のどちらかだろうと言った感じである。
そこそこ混んでいる列車の中、浴衣の間からのぞく二本の足。
「(‥‥‥‥。足!?)」
よく見るとボックスシートに体を投げ出して眠りにつき、シートに収まりきれなかった両足を肘掛けに乗せている男性の姿が。
「(はぁ、随分お疲れなビジネスマンもいるのね‥)」
そんなことをぼんやりと思いながら外の景色と列車の中を見ていたとき、肘掛けから飛び出していた足が突然バタバタと動き、下に降りた。
どうやらお疲れモードのビジネスマンが目覚めたらしい。
「(どんな人なんだろう? 乗り過ごしてなければいいけど‥)」
体を起こすのが見えたので、なんとなく視線を移して硬直。
高校時代のクラスメートだった‥orz
ちなみにそのクラスメート、当時はいかにも『今時の少年』と言った感じで、ちょっと改造した制服を颯爽と着こなし、逆立てた髪を毎日綺麗にセットして通学してきて、
「(あ、お洒落だな)」
と言う印象を周囲に与える雰囲気を持っていた。
しかしその時、同じ列車内に居合わせた彼は皺が寄ってよれよれになったスーツを纏い、当時より短くなった髪の毛はひどくくしゃくしゃな有様。
このギャップは私にとってかなり衝撃だった。
そんなに仕事が忙しいのだろうか、身なりに構う暇もないくらい働かなければならなかったのだろうか。
そんな疑問が頭をよぎる。
向こうは私に気付かなかったようだけど、見てはならないモノを見てしまったような感じがして、なんともいたたまれない気分になり、そっとその場を立ち去り車両を変えた。
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「‥‥こんなことがあってね。そのことを思い出してたの」
「へぇ、それは強烈な体験だったね。(^^; でもどうして今、その話を?」
私がその時見た地名がクラスメートの苗字だったからである。
ちょっと珍しい苗字だったので、今でもローカル線のボックスシートとその地名(彼の苗字)を見るとその時のことを思い出す。
あの当時、その彼に好意を持っていたわけではないが、接点がなかった分その人に対する印象は「お洒落な人」と言う感じだった。
私としては出来ることならずっとそう思い続けていたかった。
歳月って人を変えるのね‥
そして同窓会の類があったとき、その彼の顔を見て吹き出してしまわないかそれが今からちょっと心配である。
たかがお茶、されどお茶2 [回顧録]
病院ネタ続きでこっちの続きが書けず、やっとのお目見えである。(^^)
これは前回の「たかがお茶、されどお茶」の後日談である。
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同期Aが例のミルクティーを飲んで一ヶ月くらい経った頃だろうか、二人で市内の博物館を見に行こうという話になった。
当時は4回生、授業はない。
クラブも引退しているので、さぼったところで問題はないだろう。
と、言うわけで午前中の授業が終わってから待ち合わせして、出かけることにしたのである。
そして駅のカフェに行き、二人で軽い昼食をとる。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「サンドイッチのAセット」
「あ、オレはサンドイッチのBセットで」
「お飲物は?」
「アイスティー。アールグレイで」
「同じく」
「レモンとミルク、どちらをお入れいたしましょうか?」
「(!?)」
咄嗟に
「ストレートで(即答)」
「は?」
「何も入れないでください」
ドスの利いた低い声に詰め寄るような顔をしていたせいか
「か‥ かしこまりました。少々お待ち下さい」
と引きつった営業スマイルを浮かべながらウェイトレスのお姉さんは厨房に消えた。
ちなみに私が上記のやりとりをしているとき、同期Aは無言のまま水飲み鳥のように首をこくこくとひたすら縦に振っていた。
「「((こいつ。今、同じ事を考えたな))」」
おそらく同時にそう思っただろう。
でもそのお茶の話題を口に出すのは何となく気が引けて、その後はお互い無言でサンドイッチをほおばった。
この時、ここまで尾を引くとはと正直言って驚いた記憶がある。
あれから時間が流れ、今度は先月の話になる。
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先月、同期Aと会った。
彼は世間一般で言う「テツ」(←世間一般で言う「鉄道マニア」)で、JR全線乗りつぶしを果たし、現在は私鉄全線乗りつぶし中である。
職場の夏休暇を利用してこちらに出てきているので、折角だから会おうと言うことになったのだ。
彼の乗りつぶしの都合から鶯谷駅で待ち合わせをして、それから東京の街をぶらぶらと歩く。
待ち合わせの時間が結構ゆっくりだったこともあり、途中でイタリアンのお店に入りランチをすることに。
二人でパスタランチを選んで、それぞれドリンクを選ぶ。
「ドリンクは何になさいますか」
「私はアイスコーヒー」
「オレはアイスティー」
「レモンとミルク、どちらをお入れいたしましょうか?」
「(!? このやり取り、以前も聞いたような)」
上記のことが唐突に脳裏に蘇る。
当時のやり取りを思い出していたところ、同期Aはにっこり笑って一言。
「ストレートで」
そしてウェイトレスが下がってからきょとんとしている私に満面の笑みを向けて
「君がああ答えて以来、オレもこう答えることにしとるんや」
‥‥‥‥。
どうやらどちらかが死ぬまでこの話題は一生モノの共通ネタになりそうだ。
夏至の記憶 [回顧録]
別の所でも書いた内容だけどこっちでも‥
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今日は夏至らしい。
まず思い出すのが大学時代。
前期の間はクラブ活動が終わっても外がまだ明るく、そのままどこかに遊びに行くか、ご飯を食べに行くか、それでなかったら鴨川の川縁で宴会をしたりしていた。
そういえば上賀茂神社に蛍を見に行ったのもこの時期だったような気がする。
いつもと変わらない日常。
でも夏至を過ぎれば毎日少しずつ日暮れが早くなる。
気付かないまま時間が流れ、改めて実感するのが夏休み明け。
後期に入るとクラブ活動を終えた頃にはすっかり暗くなっており、暗くなった空と眼下に広がる街の灯を見るたびに何とも言えない淋しさにかられたことを思い出す。
そして吹き付ける涼しい風が、夏の終わりと時間の流れの速さを告げているように感じたものだった。
ところで自衛官をやっていた頃のこと。
ちょうどこの時期は前期教育が終わり、後期教育に移行する時期である。
大学時代は一日がものすごく早かったけれど、教育隊にいる頃の一日はものすごく長かった。
日暮れが遅いから夜間訓練出来る時間帯まで戦闘訓練場に残り、訓練やシミュレートをしながらサーチライトに照らされた空と稜線の向こうに見える街の明かりをぼんやりと見つめて特大のため息をついたことが脳裏に鮮やかに蘇る。
ニュースで夏至と聞いてなつかしい想い出を書いてみたけれど、大学時代の仲間たちはこの時期何を思ったのだろうか。
わざわざ聞くような内容ではないけれど、なんとなく興味を持った。